ENTRY CALENDAR
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
   1234
567891011
12131415161718
19202122232425
26272829   
<< February 2012 >>

RECENT ENTRIES
CATEGORY
ARCHIVES
for MOBILE
qrcode
O-kiniiri
about KOSENJI
OTHERS


【本門佛立宗 廣宣寺 -御法門-】

[本門佛立宗 廣宣寺]WEBサイト「御法門」のページ
「親の恩を慮る」--- 松本良光師
サラリーマン時代こんな体験をしました。仕事内容は債権回収。俗に言う「借金の取り立て」です。私が担当したのは延滞が半年以上の方々でした。お宅を訪問しましても大半の方はいません。行方不明の方もあります。電気・水道・ガス・電話が止まっていることも稀ではありません。家を訪ねると小さな女の子だけが出てきて「お母さんはいません」との応対もありました。しかし、それは母親が居留守を使うため。中には大変危険な金融業者から追いかけられている方もいましたし、工場が倒産寸前で明日の生活すらままならない方もありました。怒鳴られたり、脅迫されたりすることも度々あり、当時は「大変」の一言でしたが、今ではいい体験をさせていただいたと思っています。

これらの体験を通じて改めて感じたことは「如何に今までの自分が恵まれていたのか」ということと「そういう環境で育ててくれた親に対する感謝と尊敬」です。うちの家族は両親と子供4人の6人家族。決して裕福な暮らしではありませんでした。しかし、それでも3食のご飯はありましたし、着る服もありました。電気・ガス・水道・電話も止まったことがありません。風邪をひけば病院にも連れて行ってもらえました。そして、何よりも家族が仲良く、明るく、楽しくあれたことが何よりも有難かった。そういう環境を作り、私たちを育ててくれた。きっと、その苦労は体力的、精神的、経済的に大きかったはず。社会に出るまでは「親がするのは当たり前」と思っていましたが、仕事での経験を通じて「当たり前」ほど難しく、価値あるものだと気づくことができました。すると、両親に対する感謝と尊敬の思い、そして「親孝行をせねば!」との思いが自然とわいてきたのです。

一般に「子を持って知る親の恩」と言われ、子供を持ち、親としての生活を始めれば、否が応でも親の苦労を実体験し「親は大変だったんだな〜」ということを思い知ります。これもまた親の恩を知る一つのキッカケです。しかし、誰もが子を持つとは限りませんし、子を持つとしてもその年齢はまちまちです。そう思えば、子を持たない間から恩を知り、恩に報いていく。これこそ人として歩むべき道であると言えます。もちろん、そういった生き方を教えて下さるのが仏様の教え。では、私達は一体どのようにすれば親の恩に報いることができるのでしょうか。日蓮聖人は親孝行について次の様にお示し下されています。

初級:両親に贈り物をする(親が喜ぶような物、お手伝い、思い出作り等を贈る)

中級:両親の意にたがわないようにする(親を泣かせる様なことはしない)

上級:両親に功徳を回向する(ご信心によって積ませていただいた功徳を親に手向ける)

 最高の親孝行とは私達がご信心によって積ませていただいた功徳を手向けること。親が健在の間は平穏無事を祈り、亡くなった後は菩提を祈る。そうやって親孝行をさせていただけば、親にとっても、私達にとっても幸せの種まきとなります。親はいつまで経っても私達の親であり、私達はいつまで経っても親の子。これは永遠に変わることのない間柄。何歳であろうと親に対する感謝と恩返しの思いを持ち、親孝行な子であることが大切です。

御妙判
「父の恩の高き事、須弥山(しゅみせん)猶ひきし。母の恩の深き事、大海(たいかい)還て浅し。相構へて父母の恩を報ずべし」
「父の恩はどんな山よりも高く、母の恩はどんな海よりも深い。それだけの恩に報いることができるように、いつも親孝行を心がけることが大切。これこそ人として歩む道である。」

 ご信心で最高の恩返し。こんな大切なことまで私達は教わった訳ですから、自分の家族を始めとして、恩ある大切な人たちにも御題目のご信心を伝えていきましょう。もちろん、これもまた大切な恩返し。人生の最後の最後まで人の恩を慮れる誠の人でありましょう!

御教歌
孝行の子は子をもたぬ程よりも おやの恩しる人の人なり

「自分が子供を持たない間からでも親の恩を知り、その恩返しをしていくことができる。そういう親の恩を慮れる子こそが本当に親孝行な子であり、そういう人間性を備えてこそ誠の人間である。」とお示しの御教歌です。
| 知恩報恩 | 00:00 | - | - | pookmark |
「お陰に感謝する」--- 松本良光師
おせち料理には欠かせない棒鱈。日保ちがしない鱈を流通させるために加工された保存食です。鱈を三枚におろして一、二ヶ月天日干しにすれば出来上がり。塩を振ったりは一切していませんので、水で戻しただけではほとんど味がしません。そんなものを好んで食べる人なんていないでしょう。もちろん、棒鱈は調理をするからこそ美味しい料理となり、みんなが食べてくれるのです。その際、一番のポイントとなるのは「ダシ」です。どれだけ一流の調理器具や調味料を使ったとしても、肝心のダシが手抜きですと、一気に料理の格が下がってしまいます。ダシは決して華々しい存在ではありませんから、どうしてもその大切さを軽視されたり、手を抜かれたりしまいがちな部分。しかし、如何に美味しい棒鱈になるか。それは偏に「ダシの力」にかかっていることを忘れてはいけないのです。

ダシのお陰で美味しい料理となっていく棒鱈と同じ様に、私たち人間もまた、自分一人の力だけではこの人生を生き抜いていくことなんてできません。いつもたくさんの「お陰」をいただいているからこそ、なんとかこうして毎日を過ごすことができているのです。しかし、私たちを支えてくれている「お陰」という存在も、やはりダシと同じように決して華々しい存在ではありません。ですから、「お陰」というものを感じないで日々の生活を送っている方もあれば「こんなにツイてないのは、周りのせいだ」と責任転嫁をする人まであります。先日もテレビでこんなことが言われていました。「最近どないですか?」と尋ねると、昔の人は「どうも、お陰様で…」と答える方が多かった。しかし、最近の人は「いや〜、もうあきませんわ…」と、開口一番に愚癡が出てくる。どうも最近の人々は「お陰」という見えない力に対して普段から感謝することを忘れてしまっているようです。

この世に人として生まれたのも、こうして今を生きているのも、それはすべて「お陰」という見えない力によって支えられています。つまり「お陰」という力なくして、私たちの命も生活も成り立たないのです。そのことに気づいて「お陰」に感謝をしながら生きなさい、それが人の道だと教えて下さるのが御題目のご信心。これもまたダシと同じように、その大切を軽視されたり、手を抜かれたり、そんなものなくても生きていけると思われてしまいがちなのです。しかし、ご信心は私たちにとって、なくてはならない最高のダシ。南無妙法蓮華経と御題目をお唱えすれば、私たちを支えてくれているすべての「お陰」に対して感謝をし、恩返しをしていくことができます。最初はその大切さを実感できないかもしれません。しかし、料理でもダシの味がわかれば、その大切さがよくわかってきます。それと同じで、ご信心でもそのうま味がわかれば、どれだけ大切なのかがわかってきます。そうやって、最高のダシが私たちの身と心にジワッと染み渡っていけば、自然と幸せの種まきができ、もっと充実した人生へとなっていく。まさに、至高の逸品となるのです☆

御指南 
「我力にて命いきていると思ふは大なる誤り也。恩知らず也。(乃至)故に命を初として家内共今日を渡るも妙法経力也と知りたる人を真実の此経の信者とは申也。」

「『自分一人の力で、この世に人として生まれ今まで生きてきた』などと思うのは大きな間違い。そこには必ず【お陰】という見えない力があって、私たちを支えてくれているのである。そのことに気づかず、感謝をしないのであれば、それは恩知らずというもの。よって、ご信心を通じて自分を支えてくれているあらゆる存在に感謝をしていくことが大切。そういった生き方が幸せの種まきとなり、私たちの人生を充実させてくれるのである。」との意。

人生、上を見ればキリがありませんし、他人と比較をすれば自分の方が劣っているように感じてしまう。そういう眼で自分の人生を見てしまうと、なかなか「お陰」という力に気づけませんし、感謝の思いだってわいてきません。私たちにとって、最も大切なのは「今」という時間が存在すること。なぜなら「今の自分」が「未来の自分」を変えていくからです。「未来と自分は変えられる!」そう思えば「今」がある私たちは、それだけで十分「お陰」に感謝です!これからは「どうも、お陰様で!」を心がけましょう☆

御教歌
棒鱈も一人歩行(あるき)はむつかしい ダシの力で人にくわるる

ダシの力があってこそ、みんなにおいしく食べてもらえる棒鱈。それと同じで、人はあらゆるお陰の力があってこそ、この世に生まれることもでき、日々を送ることのができるのである。お陰に感謝しながら生きなさいよ!とお諭しいただく御教歌です。

| 佛立信仰 | 10:55 | - | - | pookmark |
「心を一つに!」--- 松本良光師
人にはそれぞれ個性があり得意なこともあれば、苦手なこともある。できることもあれば、できないこともある。ですから、人が集まれば決して皆が一様だとは言えないのです。家族や友達、仕事やご信者仲間など、本当に個性はそれぞれ違っていて、まさに十人十色。そんな人の集まりを、どのようにして一つのチームにしていくか。そして、どのようにして大きな力を発揮していくか。その秘訣は一体何かと言えば、それは「心を一つにする!」ということ。つまり、皆が同じ目標・志を持って行動をするということです。ただ、心を一つにしたからと言って、みんながみんな全く同じ行動を取っていては、折角の個性が台無しになってしまいます。日本人はどちらかと言えば「人と違うことはしたくない」という傾向にあり、周囲を見渡しながら無難なことばかりに手を付けている方も多いでしょう。しかし、そんなことではいつまで経ってもチーム力は上がっていきません。やはり、チーム力を上げていくためには、それぞれ自分の持ち味を出していくことが欠かせないのです。

桜梅桃李(おうばいとうり)という言葉があります。桜には桜の良さがあり、梅には梅の、桃には桃の、李には李の良さがそれぞれにある。決して桜が梅の真似なんてできませんし、梅が桜を真似ることもできません。私たち人間だってこれと同じことが言えます。私たちにはそれぞれ個性があり「自分にしかできない、自分だからこそできること」が必ずあります。ですから、私たちがみんなと共によりよく生きていくためには、その「自分らしさ」を発見し、それを活かして生きていくことが大切なのです。もちろん、「自分らしさ」の発見とは、この長い人生を生きていく中で色んな人たちと出会い、そして色んな経験を経ていくことで、徐々に見出されていくもの。私たちお互いは、その個性の違いを決して否定し合うのではなく、お互いを尊重し合い補い合って生きていかねばなりません。これこそチーム力アップには欠かせないのです。もちろん、そうやってチーム力がアップしていくからこそ、私たち自身の人生も充実していくのです。そのことを忘れて、自分の個性ばかりを大切にし、人の個性を軽視しておっては、いつまで経ってもチーム力は上がらず、結局は自分自身も周りのみんなも充実した人生を送ることができなくなるのです。

『桃太郎』に学ぶチーム力
◆なぜイヌ、サル、キジを連れて行ったのか?
自分一人の力(個性)だけでは何事も成し遂げられません。みんなの力(個性)があってこそ苦労も困難も乗り越えられる。「助けよう!助けてもらおう!」を合い言葉に!
◆持ち味を大切に!(桃太郎:刀、イヌ:噛みつく、サル:ひっかく、キジ:飛ぶ&突く)
人にはそれぞれ持ち味があります。出来ていないことを罵り合っていてはいけません。お互いの持ち味をたたえ合ってこそチーム力は高まっていくのです。今、誰が何をすべきなのか。そのことをそれぞれがきちんと考え、自ら率先して取り組んでいきましょう!

御妙判 
「異体同心なれば万事を成し、異体異心なれば諸事叶事なし。」
「チーム内の心が一つになっておれば、どれだけ大きなことであっても成し遂げることができる。反対に、心がバラバラであれば、どれだけ小さなことであっても成し遂げることができない。結局は、どれだけみんなが一丸となってチーム力を高めているかかが大切なのであって、人数の多少は全く関係ないのである。たとえ、小さなチームであっても心を一つにして、それぞれの個性を活かし合えば大きな力となるのである。」との意です。

ただ、いくら心を一つにしたとしても、その心が「悪い心」ではいけませんし、個性にしたって誰かを傷つけるようなものではいけません。「よい心」で一つになり「よい個性」を発揮する。それでこそ人の道です。もちろん、その筋道を教えて下さるのが仏様の教え。人の心や個性は様々な縁によって開発されていくものですから、ご信心のある人生とは、よりよい人生作りには欠かせないといえます。「地球」という壮大なチームから「家族」という身近なチームに至るまで、更なる高みを目指してそれぞれご信心に励みましょう☆

御教歌
むかしより味方のこころそろはずに 軍(いくさ)に勝ちし事はあらじな

「チーム内の心が揃っていなければ何事も成し得ない。そのことは歴史的に見ても明らかなことである。心を一つにして大きな力を発揮せよ!」との意です。

| 異体同心 | 00:00 | - | - | pookmark |
「死を意識して生きる」--- 松本良光師
10月5日、アップル社の元最高経営責任者であるスティーブ・ジョブズ氏が56歳でお亡くなりになりました。彼が遺した業績はとても偉大で、特に近年のスマートフォンの大流行、その火付け役ともいうべきiPhoneやiPadの開発は、私たちに大きな驚きと喜び、そして、これまでにない利便性を与えてくれました。ちなみに、映画『トイ・ストーリー』を手がけた「ピクサー」という会社を立ち上げたのも彼です。まさに、スティーブ・ジョブズ氏の存在なくして、今日のセンセーショナルなIT文化は築かれなかったと言えます。

それにしても、どうしてこれだけの偉大な成果を彼は生み出すことができたのか?やはり、生まれつき我々とは頭が違うのか?もしかしたら、そういう一面もあるかもしれません。しかし、決してそれだけが原動力ではありません。実は彼の生き方にこそ大きなヒントがあるのです。では、彼が一体どんな生き方をしてきたのか、それを彼のスピーチから学んでみましょう。(太文字の部分がスピーチ文です。)

私が十七歳の時に読んだ本に、こう書いてありました。「毎日、今日が人生最後の日だと思って努力すれば、いずれ望みはかなえられる。」この考えは私に大きな影響を与えました。それ以降、三十三年間ずっと、私は毎日朝起きて、自分の顔を鏡で見ながら自分自身に問いかけました。「もし、今日が自分の人生最後の日だったら、今日の予定は本当にそれでいいのか?今日一日そういう生き方をしていいのか?」そして、その答えが何日もノーであれば、私は何かを変えなくてはいけないと思いました。「いずれ自分も必ず死ぬ」という考えは人生で大きな決断をする時にとても役立ちます。見栄を張ったり、他人の目を気にしたり、失敗をするかもしれないという不安や失敗をした時の恥ずかしさ。そういったものは、「自分も必ず死ぬ」という事実の前では一気に色あせてしまう。そして、一体何が本当に一番大切なのかを教えてくれる。私たちは普段、プライドや世間体、そういったものを必死になって守ろうとしている。しかし、「自分の死」というものを意識することで、そんなものは取るに足らない幻想であると気づくのです。私たちは裸で生まれて、裸で死んでいきます。本当に大切なものは何なのか、自分の本音、まさに心の叫びを耳を澄まして聞かないといけません。そして、その叫びこそ人生の指針とするべきなのです。
(2005年スタンフォード大学卒業式でのスピーチの一部)

人は必ず死ぬ。しかも、それがいつ何時なのかわからない。これは紛れもない事実です。この大前提の上で私たちは毎日を生きている訳です。しかし、大半の人々は、そんなことはできるだけ考えようとしません。むしろ「死」を忌み嫌い、遠ざけながら生きています。果たして、そんな生き方で本当にいいのでしょうか?「死」は私たちにとって人生の終着点、ゴールです。マラソンでもそうですが、レースに出ている人たちは必ずゴールを目指して走ります。常にゴールを意識しながら走るのです。そう思えば人生という名のレースにおいて、ゴールである「死」を思わずに日々を送ることは、決して正しいレースの取り組み方とはいえません。日蓮聖人が「先ず臨終のことを習いなさい」と教えて下さっている、その意味をよくよく噛みしめて、そして、今日という日を大切に生きていきましょう。それはもちろん、ご信心の面、日常生活の面の両面であることは言うまでもありません。

御指南 
「我身の無常を朝夕にかへりみるを智者と云也」
「死を忘れて迷へば、今度の一生いたづら云々」

「一日の始まりと、一日の終わりに自分の命の儚さを顧みる。死を意識し、命に感謝する。これができてこそ賢い生き方である。もし、そんなことを思いもせず、ただ目先の生活、欲望だけに心を奪われておっては、必ず後悔をする羽目になりますよ。」との意味。

常に死を忘れない、意識する。それでこそ本当のレースができます。必死になって守ろうとしてる下手なプライドや世間体。その先にある本当に大切な私たちの本音、心の叫び。その声に耳を澄ましながら悔いのない人生を送る。もちろん、その道標となるのは仏様の教えです。しっかりとご信心を軸にして、日々人生という名のレースに挑みましょう!

御教歌
「けふしぬと思ふてみれば信行に しばしの程もをこたりやする」

今日が人生最後の日かもしれない。もし、そのように思ってみたならば、決して怠けや甘え、妥協、諦め、そういった行動を取ったりしないはず。もっと、もっと今日という日を大切にするはず。全く保証も根拠もない「未来」をアテにするのではなく「今」を精一杯生きなさい。その積み重ねによってこそ充実した人生が送れるのあると、このようにお示しの御教歌です。
| 佛立信仰 | 16:22 | - | - | pookmark |
「人の心が世界を変える」--- 松本良光師
仏様の教えに「依正不二(えしょうふに)」というものがあります。これはどういう教えかと言いますと【私たち人間の心】と【世界の環境】は、切っても切り離せない関係、二つで一つの関係にあるということです。この教えにおいて殊に注目すべき点は、私たち人間の心の有り様がそっくりそのまま、この現実世界に反映されているという点。つまり、今、現在の世界環境は私達の心そのものだということ。よって、この世界をつくり上げているのは神様なんかではありません。すべては今を生きている私達の心だということです。

そうなれば、私たちが住むこの現実世界が良くなるのか、それとも悪くなるのか、それはすべて私たちの心次第だということです。もちろん、私たちの心が清くあれば、この世界もまた清く、安心の世界となる。反対に、私たちの心が汚れておれば、この世界もまた汚れ、不安の世界となるのです。たとえば、よく「修羅場と化す」と言いますが、これがまさにそうです。その場はなにも最初から【修羅場】という闘争の環境ではなかったはず。しかし、それを修羅場へと変えてしまったのは、もちろん、その場に居合わせた人々の心。相手を憎み、そして怒り、争う心。この心がその場を【修羅場】に変えてしまったのです。

今年、日本ではたくさんの自然災害が多発し、経済も未だ混迷から抜け出せずにいます。本当に今、日本は今まで以上に苦しみの多い世界となってしまいました。しかし、これは決して運が悪い訳でも、偶然なんかでもありません。こんな日本になってしまったのは、紛れもなく私たち一人ひとりの心が元なのです。今、私たちは大きな岐路に立たされています。ただ歎くだけも、ただ恨むだけでもいけない。今こそ真摯に自分と向き合い、心の有り様を考え直すべきなのです。そして、正しい心の有り様へと変わっていく。そういう生き方へと私たち一人ひとりが変わっていく。これこそ日本復興のカギだと言えるのです。

実は、この提言をこの世で一番最初になさったのが日蓮聖人です。当時も自然災害が多発し、また疫病が流行り農作物は大凶作。日本はまさに苦しみで満ちていました。そこで日蓮聖人は「正しい信仰(御題目のご信心)によって人々の心が清くなっていけば、必ず日本は復興できる!今こそ皆で御題目をお唱えして、皆で日本を変えていこうではないか!」と、このように力強く訴えたのです。よって、ご信心の第一義とは「御題目のご信心を世界中に弘めて、皆と共に御題目をお唱えし、そしてこの世界を安心・幸せの世界へ変えていくこと(一天四海皆帰妙法)」なのです。この【ご信心の目的】がきちんとおさえられていませんと、確実にご信心がブレます。自分の御利益願いや先祖の供養だけ、これではいつまで経っても世界は変わりません。そうなれば私たちの人生も変わりません。しっかりと「何のためのご信心なのか」という点をおさえて、ご信心をさせていただきましょう!

御妙判 
「衆生の心けがるれば土もけがれ、心清ければ土も清しとて、浄土と云ひ穢土と云も土に二の隔なし。只我等が心の善悪によると見えたり。(中略)日夜朝暮に又懈らず磨くべし。何様にしてか磨くべき。只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを、是をみがくとは云なり。」

「人の心が汚れれば世界も汚れるし、反対に、人の心が清ければ世界も清くなる。よって、我々の心こそがこの現実世界を幸せの世界に変え、また苦しみの世界にも変えるのである。だからこそ、毎日コツコツと心をキレイに磨くことが大切。磨く方法とは南無妙法蓮華経と御題目をお唱えすること。皆と共に心を磨き、世界を変えていきましょう」との意味。

この世が一体どんな世界になるか。これは決して他人任せにはできないことですし、してはいけないことです。全ては私達一人ひとりの心の有り様にかかっているのですから、世界全体のため、また私たち個人のために、しっかりとご信心に取り組んでいきましょう!

御教歌
一同に人皆口唱するならば 娑婆はそのまま浄土也けり

近年、人気急上昇中のパワースポット。しかし、そこに「自分の願いを叶えて欲しい!」という人たちがゾロゾロと集まったらどうなるか。もちろん、依正不二の教えからいえば、その場は欲望が渦巻く負のパワースポットになってしまいます。こんなことで御本当に利益がいただけるのか、大きな疑問を抱かざるを得ません。一方、お寺ではいつも世界中の平和を願い、そして、人の幸せを祈っています。そういう心で御題目をお唱えする(信仰をする)場所です。だからこそ、お寺は有難い。もちろん、御題目の声が響くご信者宅の仏間も有難いのです。まさに、本当のパワースポットとは他者を思い御題目をお唱えする、その場であるといえるのです。
| 佛立信仰 | 10:24 | - | - | pookmark |
「ご信心のスイッチはいつもONに!」--- 松本良光師
「セコムしてますか?」きっと、誰もが耳にしたことのあるキャッチフレーズ。24時間365日、どんな時でも大切な家、大切な家族を見張ってくれる。そして、万が一、何かあった時には、すぐさま警備員が駆けつけてきて、色んな外敵から守ってくれる。そんな頼もしい警備会社。それがセコム。さて、皆さんは「セコムしてますか?」。

最近では、セコムしている家庭、お店が増えてきています。私が昔、アルバイトをしていたお店でもセコムをしていました。お店の営業が終わり、後片付けと戸締まりをした後、お店を出る直前に警報装置のスイッチをONにします。もし、ここで私がスイッチをONにしなかったらエライことです。これでは折角セコムしているのに、セコムしていないことになります。たとえ、泥棒に入られようと、火事が起きようと、警報は一切鳴りません。もちろん、セコムの人たちもやって来ません。つまり、セコムしておきながら、全然守ってもらえない訳です。これでは一体何のためのセコムなのかわかりませんよね。

しかし、これは決してセコムが悪い訳じゃありません。悪いのはスイッチをONにし忘れた人が悪い訳です。折角、24時間365日、どんな時でもお店を見張ってくれる。そして、何かあったときには、必ずすぐに駆けつけてくれる。そして、大切なお店を守ってくれる。そんな素晴らしいセコムを導入してしているのに、肝心の警報装置のスイッチをONにしなかったら全く意味がありません。そんなことは誰にでもわかることですよね。

ところが、これがご信心の話になった途端わからなくなってしまうのです。セコムの話なら「そりゃ電源入れとかな守ってもらえへんで」って誰もが気づける。でも、ご信心の話になると「そりゃご信心しとかな御利益もらわれへんで」って、なかなか気づくことができない。つまり、ご信心を手抜きしたり、後回しにしたりして、ご信心のスイッチをわざわざOFFにしてしまう。これでは御利益がいただけなくて当たり前。ところが、こんな単純明快なことになかなか気づけない。特に自分自身のこととなると余計なんです。

なぜか?それは、私達自身が勝手に「ご信心をしているつもりになっているから」なんです。つまり、本当はまだ不十分なところがあるのにもかかわらず「私はちゃんとご信心ができています。ちゃんとご信心のスイッチをONにしています。」と思い込んでいるということ。これは決して他人事ではありません。私達の本性は欲の深い人間。ちょっとでも気を抜けば、ご信心のスイッチをわざわざ自分の手でOFFにしてしまいます。ご信心よりも自分の気持ちや、自分の都合を優先させてしまう。そうやって、自分の思う通りにご信心をねじ曲げてしまう訳です。こんなことでは決して御利益はいただけない。やはり、御法門で教わる通りを実践する。仏様が教えて下さる真理、法則の通りに生きていく。それを目指して、今、自分にできることを考え、実行に移す。決して現状維持ではなく「今までよりも+1」を常に心がける。これがご信心の電源をONにするということなのです。

御指南 
「懈怠にて御利益なしとつぶやくをいましむ。信心弱くして経に妙なしと云べからず。」

「ご信心のスイッチをわざわざOFFにしておきながら『御利益がいただけない!』と文句を言うのは、とんでもない筋違いである。御利益がいただきたいのであれば、ご信心のスイッチはいつもONにしておくことが何よりも大切なんですよ。」という意味の御指南。

ご信心のスイッチはいつもONにしておかないと御利益はいただけない。これを逆に考えれば、ご信心のスイッチをいつもONにしておけば必ず御利益がいただけるということです。いつも自分にできる「+1」を心がけて、ご信心に取り組んでいきましょう!

御教歌
常々に信心なくば御利益は いたゞかれぬといふをしりきや
| 精進 | 19:47 | - | - | pookmark |
「恩を知り、恩に報いる」--- 松本良光師

「赤の他人」という言葉を辞書で調べてみますと「まったくの他人。全然縁のない人。」とあります。しかし、仏教的にいうと、この世に「赤の他人」なんてものは存在しません。なぜなら、私たちお互いは、この世に存在するありとあらゆる人・モノによって形作られているからです。つまり、今、私たちが勝手に「赤の他人」だと思い込んでいる人の存在なくして、今の自分という存在は成り立たないということです。この事実になかなか気づくことができない、気づこうとすらしていない。特に、自分第一、自分の家族第一の個人主義の現代の風潮では、そういった傾向が殊に顕著だといえます。

もちろん、他人に興味を持たず「赤の他人」をどんどん増やしていけば、当然それだけ人との関わり合いが狭くなります。そうなれば、それだけ煩わしさは減り、私達の自由が確保されます。自分の取り分だって増えます。人の悩み、苦しみに関わらなくて済みます。限られた範囲の中で、自分たちの幸せだけを、思うように描いていくことができるのです。

しかし、そんな生き方をしておっては、それだけ私たちは周囲からの恩恵を知ることができなくなります。そして、その恩に報いることもできなくなってしまうのです。よって、自分第一の個人主義は人の欲望を増長させ、私たち人間を恩知らずの生き物へと変貌させていくのです。そんな欲深い生き物は、時に恩を感じ、恩に報いようとする動物にも劣る生き物だと仏様は仰っているのです。果たして、そんな生き方のままでいいのでしょうか?

*コンビニのおにぎりに秘められた世界
コンビニに行けば105円でおにぎりが買えます。しかし、私達は105円で全く同じものを自分一人の力だけで作りあげることなんて絶対にできません。そう思えば105円のおにぎりには計り知れない人・モノのお陰があり、そこには壮大な世界が広がっているのです。コンビニの店員さんに始まり、おにぎりを運んで来た人や製造に携わった多くの人たち。また、おにぎりの材料であるお米や海苔を作る人たちもいる。もちろん、その人たちは様々な機械を使っている訳ですから、その機械を作る人やその材料を調達する人もいる。燃料や電気、ガスだって必要。石油は数百万年前の生物の遺骸が元になっています。それに、太陽や空気、水といった自然の恵み。本当に、数え上げると切りがありません。まさに、105円のおにぎりを覗けば、そこには果てしない宇宙が広がっているのです。もちろん、この世に存在する全ての人・モノにだって全く同じことがいえることは言うまでもありません。さぁ、私達はどこまで恩を感じ、恩に報いようとしていたでしょうか?

御指南 
「人として畜生にもしかざるは堕獄あはれむべし。是常に欲に迷へるとが也」

「いつも自分たちのことしか考えない。そんな生き方をしているからこそ、私たち人間は【恩】というものを忘れ『自分たちの力だけで生きているんだ』と勘違いをするのである。こんな動物にも劣る生き方で明るい未来など築けるはずがない。結局は、幸せをつかみ損ねる結果となるのである。ご信心を通じて『一つでも多くの恩を知り、そして恩に報いる』そういう生き方ができるように、人として成長をしていきなさい。」という意味の御指南。

人は一人では生きていけません。この世に誕生することすらできないのです。今こうして存在できているのは、ありとあらゆる人・モノのお陰。縁のない人・モノなど一切存在しないのです。このことに気づくことができる。これが人間らしく生きるスタートライン。もちろん、この「気づき」は仏様からの働きかけ(仏様の教え)によるのです。全ての恩を知り、その恩に報いることができる、そういった可能性を持った人間として生まれた訳ですから、しっかりとご信心を人生の軸として、この人生を歩んでいきましょう!

御教歌
「人なれど畜生よりもおとるあり よく深きもの恩をわするゝ」

「欲の深い人は受けた恩を忘れ、恩を返すことをしない。そんな人は動物にも劣る、欲に手足がはえただけの生き物である。」との意。
| 知恩報恩 | 00:00 | - | - | pookmark |
「初心忘るべからず」--- 松本良光師
今から6年前、平成17年7月3日。当時26歳という、それはそれは初々しい一人の青年がキレイに頭を剃り得度式を迎えました。白衣姿で本堂の内陣に正座、お師匠様から剃刀をあてていただきます。その時、彼は今までの一生を振り返り、そして感激の余り一筋の涙を流したといいます。その後、一旦本堂から下がりお衣とお袈裟を身にまといます。もちろん、全て新品。菩提親(ご信者さん)に用意をしていただいたものです。さぁ、新米お教務さんの誕生です。その青年はお師匠様より「良光」と僧名をいただいたのでした。

さて、諺に「初心忘るべからず」とあるように、私達はどれだけ経験を積んたとしても、決して志を起こした時の意気込みと謙虚さを忘れてはいけません。もし、この「初心」を忘れてしまったならば、私達は思いがけない所で人生の壁にぶち当たり、前に進めなくなってしまうことでしょう。ですから、これから先いつまでも前進をしていくためには「初心」こそが最も大切な心得。「初心」こそが私達にとって偉大な師匠であると言えるのです。


*大人気ラーメン店『一風堂』社長・河原成美さんに学ぶ

開業当時、一人のお客さんがラーメンを全部食べずに帰って行きました。それを見た河原さんは、とっさにお客さんの後を追いかけて行き、自分のラーメンのどこが良くなかったのか、どういうラーメンが食べたかったのかを聞いたそうです。河原さんは、こんなやり取りを何度も繰り返してはラーメンの味を改良していき、みんなが食べたいと思う理想のラーメンを作り上げていったそうです。「これを美味しいと思わないなんて、あんたの味覚の方がおかしい!」そんな風に自分の意見を押しつけることなく、あくまでも、お客さんの声を第一にする。これは偏に「おいしいラーメンを作りたい」「一人でも多くの方に、うちのラーメンを食べて喜んでもらいたい」という思いによるのです。

河原さんは今でもそういった思いを持ち、社員に対しても徹底して教え込んでいます。月に一回「原点の日」という日があり、全国各地の店長が一つの店に集まり研修が行われます。その目的は「初心にかえる」ということ。店長ともなれば、売り上げの数字などに気持ちが行ってしまい、お客様第一という気持ちがどうしても薄れていってしまうもの。河原さんは店長たちにこう言いました。「ただ給料をもらうためだけに働くのではない。お客さんに感動を与える、喜んでもらうために働くんだ!」河原さんの仕事に対する情熱、また決して初心を忘れない謙虚さが、現在の一風堂を作り上げていったに違いありません。


もちろん、ご信心においても同じことがいえます。いつまでも謙虚で前向きに取り組む。「私はもう一人前のご信者」などと思ってしまったら、その時が信心の下り時です。あとは、どれだけ自分ではご信心をしているつもりでも、コロコロと下り坂を転がるように信心は下がっていくのが関の山なのです。だからこそ、開導聖人は次のように御教句下されています。

御教句
「信心は 古うなる程 さがるなり」

「信心は 年が寄る程 若がへれ」

「経験を積むほどに純粋な信心になっていきなさい。歳を取る毎に古ボケていくような信心では、いつまで経っても御利益はいただけない。そんな取り組み方は間違っていますよ」との意。

御指南 
「御利益は初心に限る。清風も此初心こそ御師匠なれ。」
*開導聖人ご遷化一年前、当時73歳の御指南

「純粋な信仰心。これこそ御利益への最短の道。だからこそ、初心こそが私達にとって偉大な御師匠様である。」との意。

信心の基本は初心にあります。今の皆さんに「素直」「正直」といった部分はどれだけ残っているでしょうか?年を重ねる毎に、どんどんウブな信心になっていく、これがご信者の理想像です。さぁ、みんなでピチピチのご信心前へとなっていこうじゃありませんか!

御教歌
「あきうどの見せ出しのまゝつらぬけば 繁昌せぬといふことはなし」
*あきうど=商人、見せ(見世)=店

「お店をオープンさせた当初の思い、志を決して忘れない。いつまでも貫く。これができておれば、必ずその店は繁盛するものである。という意の御教歌です。
| 初心 | 00:00 | - | - | pookmark |
「心も美容」---松本良光師
私達人間には老若男女問わず、格好良く見られたい、美しく見られたいという願望があります。特に、若い人たちは人一倍オシャレに気を使います。今、流行の服装はどうだとか、顔が小さく見える化粧の仕方はこうだとか、美容にいい食べ物はあれだとか、痩せるためにはこういうお風呂の入り方がいいとか…。こういったことを雑誌やインターネットで一生懸命調べては実践をしてみる。また、必要なお金を手にするために汗水を垂らして働く。中にはご飯を我慢してでも服を買う、そんな若者たちもいます。とにかく、少しでも外見を良くするための努力なら、決して時間と労力、そしてお金を惜しまない訳です。

ちなみに、オシャレを心がけることはボケ防止になるそうです。毎日、部屋着のままで家から一歩もでない。ちょっと出かけるにしても特に着替える訳でもなく頭はボサボサで無精ヒゲ。女性の方ならお化粧もせずに平気でブラッと出かける。これが当たり前の生活になってしまいますと、通常よりもボケやすいそうです。ですから、いくつになっても、ある程度は身なりに気を使うようにする。そして、トキメキを忘れないことが大切です

ただ、そうやって老若男女問わず、容姿にこだわることは結構なことなのですが、それだけで満足をしてしまってはいけないのです。人間は決してロボットや人形と同じではありません。必ずそこには心がある。そして、その心が私達人間の核をなし、その人をつくりあげているのです。ですから、いくら容姿が良くても、肝心の心が空っぽであったり、汚れていたりでは、折角の容姿も台無しになってしまいます。そもそも、私達の容姿は生まれ持ったものであり、お父さん・お母さんからいただいたものです。ですから、そう簡単に変えられるものでもありませんし、それを無理矢理変えてしまうことは、自然の摂理を無視した行いであるといえます。そう思えば、容姿だけにこだわるのではなく、心をキレイに磨き、成長させていくことも同時に考えていくべきなのです。実はこの「心の成長」(心の美容)こそが、私達の人生をより充実したものに変えていく大きなカギなのです。

では、心をキレイに磨き、成長させていくためには何が一番良いのか?人の心というのは1年365日、常に変化をしていて一定ではありません。つまり、それだけ心は変化し易く、周囲の影響を受けやすいのです。だからこそ、私達にとって「どこに身を置くのか?」「どういう人と付き合うのか?」ということが非常に大事になってくる。これが心の成長を考える上で、とても重要なポイントとなるのです。もちろん、ここでご信心、お寺の役割が大いに発揮されるのです。私達はご信心をさせていただいて、仏様の教え(この世の真理・法則)を学び、そして南無妙法蓮華経と御題目をお唱えする。そうすることで、仏様の心という最もキレイな心と共鳴することができる。すると、そのハタラキ、影響によって私達の心がキレイに磨かれていくのです。もちろん、そうやってご信心をさせていただく中で、お教務さんやご信者さんたちと時間を共にする。これもまた、お互にとって良いハタラキとなります。どうか姿美人だけを目指すのではなく、心美人も目指しましょう!

御指南
「男前の良き、心も良きに定まらず。女の面の愛らしき、心のこわいらしきもあり。心、信心起れば体までも清しと。経云、若持法華経其身甚清浄。」

「男前で容姿の良い人が必ずしも心まで良いとは限らない。女性にしたって、いくら可愛い顔をしていても心の中は猛獣のように恐い人だっている。人の容姿は生まれつきであるから、そう簡単に変えられるものではない。しかし、心はご信心を通じていつでもキレイにしていくことができる。そうやって心が清くなっていけば、自然と体も清くなっていく。健康で、はつらつとした人生へと変わっていけるのである。」という意味の御指南です。

これからは心も美容!心をキレイに磨いて、自分らしく生きていこう!

御教歌
「顔かたち生れつきなら仕方なし 心は清くなさばなりなん」
| | 11:21 | - | - | pookmark |
「正直な勤めこそ天下泰平の道」--- 松本良光師
先日、食肉の安全を大きく揺るがす事件が起きました。某焼肉チェーン店で食事をした人たちが各地で食中毒を起こし、小さな男の子二人を含む4名もの尊い命が失われたのです。原因とされているのは牛肉を生で食べる「ユッケ」で、なんと加熱用のお肉を商品として提供。しかも、安全性を確保するための細菌検査をしていなかったのです。現在、焼肉店と卸業者とで言い分が異なるため、未だ真実は明らかではありません。しかし、一つだけ明らかなことは、食の安全という最も大切なものを食のプロ達が軽視してきたこと。「安くて、うまい!」は大変結構ですが、食の基盤となる「安全」が欠落しては元も子もありません。今までの企業努力も水の泡。それどころか、食肉の安全性・信頼性を根底から揺るがす事件となってしまいました。今回の事件による消費の低下は必至だといえます。

実は、今回の事件に見られるような不誠実な勤めこそが、余計にこの世を乱し景気低迷に拍車をかけているのです。不景気の間は誰でも辛く、しんどいものです。しかし、ここでどれだけ誠心誠意を込め、正直に勤めることができるか。ジッと辛抱をしながら、コツコツと努力をし続けることができるか。ここに明日の日本がかかっているのです!そのことを開導聖人は尺取虫を喩えにされて、次のように御教句をお詠みになられています。

御教句
「かゞまるも のびんと思ふ 屈歩虫(くっぽむし)」*屈歩虫=尺取虫

  

尺取虫は前に進もうとする時、必ず一旦「くの字」に屈みます。そして、そこから一気にグッと大きく前へと伸び進むのです。実は、これと同じことが私達にも当てはまる訳で、前へグッと進もうと思えば、やはり一旦屈む必要がある。そういう時期を必ず通過しないといけないのです。ただ、その期間というのは辛抱の期間。ジッと堪えながら、誠心誠意を込めてコツコツと正直に勤める。決して腐ってはいけないし、ズルをしてもいけない。これが「屈む時期」の過ごし方なのです。もし、ここでしっかりと屈むことができたならば、次は力強く前へ進む時期です。水戸黄門のあの歌でも「人生、楽ありゃ苦もあるさ♪」とあるように「人生、苦しみ(努力の時期)があるからこそ楽(結果が出る時期)がある!」のです。辛く苦しい「屈み」の時期にコツコツと蓄えたパワーでグッと前に進みましょう!

御指南
「天下万民一同に正直の勤めをなさば天下平かなり。今、人のいふ不景気は世の治まらんとする前表(せんぴょう)也。」

「世界中の人々がお互いに信頼をし合い、そして、誠心誠意を込めて正直に自分の仕事をしていけば、必ずこの世の中は良くなっていく。そう思えば、今、みんなが不景気だと嘆いている今の時代は、景気が良くなるための準備期間であり、景気が上向く前兆であるととらえるべきなのである。」という意味の御指南です。

日本の再生、また天下泰平のために、今、私達一人ひとりに求められているのは「正直な勤め」です。これはもちろん、日常生活における仕事や家事などでも言えることですし、普段の何気ない言動にだって言えることです。更には、仏様の教え通りにきちんと人生を歩むという面。つまり、ご信心の面でも、やはり「正直な勤め」が不可欠。この【ご信心の面】と【日常生活の面】双方における「正直な勤め」が実現すれば、必ず私達は大きく前に進んで、よりよい世界へと変わっていくことができます。さぁ、皆さん!私達一人ひとりがこの世界の一部であることを忘れず、しっかりとそれぞれの持ち場で「正直な勤め」に取り組んでいきましょう。その積み重ねが天下泰平という大きな成果を生み出すのです!

御教歌
「日々の作業は人のつとめなり 遊んでくらす世の中でなし」

| 素直正直 | 00:00 | - | - | pookmark |